POPPI〜イタリアの小さなボルゴ
2010.01.14 Thursday 22:45
2009年6月に訪れたイタリアの美しいボルゴ、ポッピ(ポッピー)はフィレンツェから47km、アレッツォから35km、トスカーナの山岳地域カゼンティーノにある小さな村です。ボルゴ内に住む住民はわずか400人ほどで、昼食後のこの時間、村全体が午睡中のようで、ほとんど人影がありませんでした。

小さなボルゴの中を歩くと、まず目に入るのがこのマドンナ・デル・モルボ教会。1659年に建てられたこの教会、なんだかフィレンツェの大聖堂を思い起こさせる立派なクーポラ。でも教会自体はとっても小さくて、まるでミニチュアのような可愛らしい佇まい。でもちゃんと周りをロッジアで囲んで、なかなか凝った作りなのです。内部にはフィリッピーノ・リッピの『聖母子と聖ヨハネ』があります。

さらに坂を上ってたどり着いたのが、コンティ・グイディ城です。
12〜13世紀の時代、皇帝アッリーゴ6世の命によりトスカーナ一帯を治めていた封建領主コンティ・グイディの下、ポッピはカゼンティーノ地域の行政の中心地でした。
このお城もどことなく、フィレンツェのヴェッキオ宮殿に似ていませんか?
それもそのはず、このお城はフィレンツェの大聖堂の初期プランやサンタ・クローチェ教会、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会等、多くの建築や彫刻を手掛けたアルノルフォとラーポのディ・カンビオ一家が手掛けたもので、ヴェッキオ宮殿の原型となる13世紀に建てられたお城なのです。

この時代、イタリアの都市間や都市内部では、人々はグエルフィ(教皇派)とギッベリーニ(皇帝派)に分かれ、争いが絶えませんでした。1289年、フィレンツェ対アレッツォ、つまり教皇派vs皇帝派の決戦の場に選ばれたのがこのポッピの眼下に広がる平原、カンパルディーノです。かの『神曲』をものしたダンテ・アリギエーリもグエルフィ党の一員として従軍したこの『カンパルディーノの戦い』。2万人が戦い、5千人の命が失われたといいます。
因みに昼食をとったリストランテの名は”カンパルディーノ”でした。

ポッピの村にあるカステッロ内部には、この戦に因んだものが多く展示されていて、戦いの陣形を再現した模型までありました。紋章も、様々な意匠があって面白いです。
他にも昔の恐ろしい牢獄や華麗に彩色された祝祭の間など、いくつか見所があるのですが、最も重要と思われるのがリッリアーナ歴史図書館です。

名の由来は蔵書の所有者リッリ・オルシーニ伯爵で、中世の写本や貴重なインキュナブラなど約100冊を含む、2万5千冊もの貴重な蔵書が保管されています。内部は撮影禁止だったのですが、古い本の匂いがなんともいえず、本好きの私にはワクワクする空間。
そしてもうひとつ、コンティ・グイディ礼拝堂に描かれたフレスコ画も必見。

ここに、ジョットの弟子タッデオ・ガッディ作と思われる一連のフレスコ画が残されています。まさにジョットを彷彿とさせる画風、そして天井には美しいジョットブルー。少々痛んでいる部分もありますが、保存状態はなかなか良いのではないでしょうか。

最後にカステッロの塔頂上から見たポッピの眺め。
この平原で、遥か昔多くの兵士たちが戦をしたのですね。今では緑濃く、遠くに望むカゼンティーノの山々も美しい、穏やかな風景が広がっています。
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小さなボルゴの中を歩くと、まず目に入るのがこのマドンナ・デル・モルボ教会。1659年に建てられたこの教会、なんだかフィレンツェの大聖堂を思い起こさせる立派なクーポラ。でも教会自体はとっても小さくて、まるでミニチュアのような可愛らしい佇まい。でもちゃんと周りをロッジアで囲んで、なかなか凝った作りなのです。内部にはフィリッピーノ・リッピの『聖母子と聖ヨハネ』があります。
さらに坂を上ってたどり着いたのが、コンティ・グイディ城です。
12〜13世紀の時代、皇帝アッリーゴ6世の命によりトスカーナ一帯を治めていた封建領主コンティ・グイディの下、ポッピはカゼンティーノ地域の行政の中心地でした。
このお城もどことなく、フィレンツェのヴェッキオ宮殿に似ていませんか?
それもそのはず、このお城はフィレンツェの大聖堂の初期プランやサンタ・クローチェ教会、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会等、多くの建築や彫刻を手掛けたアルノルフォとラーポのディ・カンビオ一家が手掛けたもので、ヴェッキオ宮殿の原型となる13世紀に建てられたお城なのです。
この時代、イタリアの都市間や都市内部では、人々はグエルフィ(教皇派)とギッベリーニ(皇帝派)に分かれ、争いが絶えませんでした。1289年、フィレンツェ対アレッツォ、つまり教皇派vs皇帝派の決戦の場に選ばれたのがこのポッピの眼下に広がる平原、カンパルディーノです。かの『神曲』をものしたダンテ・アリギエーリもグエルフィ党の一員として従軍したこの『カンパルディーノの戦い』。2万人が戦い、5千人の命が失われたといいます。
因みに昼食をとったリストランテの名は”カンパルディーノ”でした。
ポッピの村にあるカステッロ内部には、この戦に因んだものが多く展示されていて、戦いの陣形を再現した模型までありました。紋章も、様々な意匠があって面白いです。
他にも昔の恐ろしい牢獄や華麗に彩色された祝祭の間など、いくつか見所があるのですが、最も重要と思われるのがリッリアーナ歴史図書館です。
名の由来は蔵書の所有者リッリ・オルシーニ伯爵で、中世の写本や貴重なインキュナブラなど約100冊を含む、2万5千冊もの貴重な蔵書が保管されています。内部は撮影禁止だったのですが、古い本の匂いがなんともいえず、本好きの私にはワクワクする空間。
そしてもうひとつ、コンティ・グイディ礼拝堂に描かれたフレスコ画も必見。
ここに、ジョットの弟子タッデオ・ガッディ作と思われる一連のフレスコ画が残されています。まさにジョットを彷彿とさせる画風、そして天井には美しいジョットブルー。少々痛んでいる部分もありますが、保存状態はなかなか良いのではないでしょうか。
最後にカステッロの塔頂上から見たポッピの眺め。
この平原で、遥か昔多くの兵士たちが戦をしたのですね。今では緑濃く、遠くに望むカゼンティーノの山々も美しい、穏やかな風景が広がっています。
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